私は、福島県郡山市にある小さな印刷会社の代表をしております。
会社の創業は、昭和59年2月。当時は、バブル前で印刷業も大変忙しかったそうです。私も幼いながらも、毎日夜遅くまでカップラーメンを食べながら残業をしていた父親と従業員の方々の姿を憶えています。
たまに父親の手伝いで遠くのお客様の納品に一緒に行くことがありました。小学校低学年の頃だったと思います。「一人で運転しているのも退屈だからなぁ。」と言いながらも、父が仕事に連れていってくれることが子どもながらに嬉しかったことを覚えています。父は、売上げの大小にかかわらず直接お客様にお会いすることにこだわっていました。当時は、バブル景気の真っ只中。印刷業界全体が忙しい時期でした。
しかし、父はどんなに忙しくても遠方のたった一件のお客様にお会いするためにだけでも必ず足を運んでいました。郡山から会津若松へ半日かけて通うこともありました。それは、父の「お客様に対して誠実でありたい。少しでも要望に応えたい。」という信念からくるものでした。「単なるお客さん」としてではなく、人と人との関係性を重視していたのです。ですから、父とお客様が話している様子はとても楽しそうでした。忙しくてもお客様との時間を大切にしていたのです。そのため、お客様からの信頼も厚く、紹介を受けることもよくありました。このような父のお客様に最後まで丁寧におつきあいしている姿は、今の私のお客様との関係づくりにも影響を与えていると思います。
子どもの頃は、おとなしく引っ込み思案な性格だった私は、父親の跡を継いで代表になるなど考えもしませんでした。そのため、大学を卒業するとすぐに東京の食品関係の会社に就職しました。一年が経った頃、父親から実家の会社を手伝ってほしいと言われました。忙しいと思っていた実家の会社は、バブル崩壊後、不況と価格競争が激しくなり、経営が大変苦しくなっていたのです。迷いはありましたが、お客様を大事にする父親の仕事に対する姿勢を見て来たので、頼みを断る理由はなく、実家に戻って家業を手伝う決心をしたのです。
しかし、いざ会社に入ってみると、戸惑うことの連続でした。
前職は、食品会社なので、全くの畑違い。家業とはいえ、自分が携わるなど思いもしなかった仕事です。詳しい知識などあるはずもなく、初めはお客様の要望を会社に持ち帰るだけが精一杯でした。しかし、製品知識や印刷業のことを学び、経験を重ねる度に、お客様一人一人が異なった要望を持っていることが少しずつ見えるようになってきたのです。
そのようなことがわかってくると、今までお客様に言われたことをそのまま製品にしてしまったり、「もっとこうした方がよい」といったアドバイスを伝えていなかったことにも気がつくようになってきました。それは、自分だけなのかと思っていたのですが、周りの印刷業者を見ていると、どうやら私だけではないようでした。
「これを伝えたらめんどうなことになる」
「儲かる仕事なのに、利益がなくなる」
「お客様に余計なことを言って、トラブルになりたくない」
こうした考えが沸き起こってきて、伝えるべきことを伝えていなかったのです。
印刷業界は価格競争の中にあり、当社も利益を削り、ギリギリで仕事をとってきました。でも、お客様一人ひとりのご要望を優先して考えるとパッと見ただけの低価格での商品提供が必ずしも割安であったり満足につながるわけではないように思えてきたのです。
そこで、今まで言ってこなかったアドバイスや情報をできるだけ伝えるようにしました。
確かに、めんどうなことになることもありました。「そんなのそっちでうまくやっておいてよ。」などと言われてしまうこともありました。どうやらお客様にとって新たなことを始めるということは、恐怖心や面倒くささがあるようです。そのため、なかなか受け入れてもらえないこともありました。しかし、結果的にはご要望にあったよい製品ができ、お客様に満足してもらえるようになりました。今では、お客様から「古川さんに頼んでよかった!」と言ってもらえるようにまでなりました。
その経験から、このような情報は、多くの皆さんが知るべき内容なのではないかと思うようになったのです。ぜひ、多くの方によりよい印刷物を手にしていただきたいと思っております。